問題のシーン
オーナーは19歳の頃からこの店で働いており、1964年にマイルス・デイビスとセッションをしたという話をする。 その後、ヴィンセントはカルテルに依頼されてオーナーを殺しにきたと告げ、クイズに正解すれば見逃すと言う。
ヴィンセントはオーナーに対して、 「マイルスはどこで音楽を学んだ?」 と質問する。 オーナーは、 「マイルスの父はセントルイスの歯科医だった。農業への投資で成功し、息子をニューヨークのジュリアード音楽院に通わせた。1945年のことだ」 と答える。 しかし、ヴィンセントはその回答の途中でオーナーを射殺する。そして、 「ジュリアードは一年足らずで中退した。その後チャーリー・パーカーと出会い、彼から3年間学んだ」 と補足する。

初見のときから疑問だった ヴィンセントはプロの殺し屋なのだから、たとえクイズに正解したとしても見逃すとは考えにくい。にもかかわらず、なぜわざわざジャズに関するクイズを出したのだろうか。 先日、ジャズに詳しい知人にこのシーンを見てもらったことで、次のような考察に至った。
1964年という年への違和感
まず、1964年のマイルス・デイビスは世界各地で公演活動を行っていた時期であり、この年に新作アルバムは発表されていない。 もちろん本人と会ったという話自体は事実かもしれない。しかし、仮に本当に1964年にコロンビアでレコーディングしていたのであれば、「ワールドツアーの合間だった」など、より具体的な説明が付くはずだ。 また、1964年という年はマイルス・デイビスのファンであれば比較的印象に残りやすい時期でもある。そのため、本当に詳しい人物であれば年を言い間違える可能性は低い。 この時点でヴィンセントはオーナーのジャズ知識に疑念を抱いたのではないだろうか。
ジュリアードだけでは不十分な回答だった
マイルス・デイビスは名門ジュリアード音楽院でクラシック音楽の基礎を学んだ。しかし、マイルスは一年ほどで中退し、その後はチャーリー・パーカーのもとで実践的なジャズを学んだ。 マイルスの特異性は、クラシック音楽の体系的な教育と、チャーリー・パーカーという当時最高峰のジャズミュージシャンから受けた現場教育の両方を経験している点にある。 そのため、「マイルスはどこで音楽を学んだのか」という問いに対しては、「ジュリアード音楽院」と「チャーリー・パーカー」の両方がセットで語られるのが自然である。 オーナーの回答は間違いではない。しかし、本当にマイルスを深く理解している人なら、チャーリー・パーカーの存在まで含めて語るはずだ。 もっとも、彼は回答の途中で射殺してしまっているため、オーナーが最終的にそこまで言及したかどうかは断定できない。
結論
ヴィンセントは最初からオーナーを殺すつもりだったのだと思う。 ただし、オーナーが語った「1964年」という年に違和感を覚え、「この人は本当にマイルス・デイビスのファンなのか?」という疑念を抱いたのではないだろうか。 そこで、その疑念を確かめるためにクイズを出した。そして彼自身の中では「おそらく答えられないだろう」という予想もあったのかもしれない。 つまり、このクイズは生死を分けるラストチャンスではなく、オーナーのジャズへの理解度を測るための確認だった。
そして、ヴィンセントの予想通り、オーナーは間違えた。
蛇足
ネットにあったコラテラルの台本の初期のバージョンを読むと、マイルスデイビスではなく、ルイ・アームストロングになっている。また、コロンビアのレコーディングではなく、アンバサダー・ホテルのココナッツ・グローブでのライブをやっていた帰りに寄ったという設定になっており、1964年7月という設定にも事実関係が合致している。
ちなみにクイズは ヴィンセント「ルイ・アームストロングが最初に買った楽器は?」 オーナー「コルネットだ。5ドルで買った。当時、奉公していたユダヤ人一家から給料を2ドル前借りしたんだ」 ヴィンセント「ブリキのラッパだ。10セントで買った。雑貨を積んだ荷馬車に乗って、行商人が来たことを街の人に知らせたんだ」 となっており、かなり意地悪な問題になっている。